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私とワイマラナーの厳密な出会いというのは、1992年、私はまだ小学生でした。1992年発売の犬種図鑑に「本誌初登場の犬」ということでワイマラナーが掲載されており衝撃を受けたことを覚えています。その頃、日本は空前のハスキーブーム、生まれた時からの無類の動物好きな私も例に漏れず、大型犬が飼いたいと両親に日々直談判しておりました(当時、拾ったMIX犬が1頭おりました。)

あまり生き物に興味のない両親にはなかなか聞き入れてもらえず、月日が過ぎました。ワイマラナーという犬種は今でこそ有名になりましたが、当時はほとんど知られておらず、珍犬として扱われており、なかなか実物にお目にかかることもできませんでした。中学生の時に、我慢できず、某有名ワイマラナーブリーダーに電話を掛けたことがありました。しかし、やはり中学生ということで、取り合ってもらえなかったという苦い思い出もあります。

 しかし、運命の出会いが突然訪れました。偶然にも、私が生まれ育った熊本にワイマラナー専門犬舎があり、子犬が産まれていると新聞に情報が掲載されたのです。1999年の夏でした。両親も私の長年の執念に観念し、まだ学生だった私はお小遣いを握りしめ、ブリーダーさんのお宅に走ったのでした。

 そこで出会ったのがメーアでした。ブリーダーさんは、ショーへもエントリーされており、この出会いにより、私はドッグショーを回ることになりました。ブリーダーさんの犬を見る目は確かで、様々なことを教えていただきました。

 メーアへの評価も高く、ブリーディングも考えましたが、日本に気に入るオスがいなかったこと、進学のために北海道へ犬共々移住したこともあり、メーアのブリーディングは行いませんでした。

 

 その後、メーアとダルメシアンのウィーンとMiX犬のキックと北海道へ渡った私は、ショーから離れ、犬ぞりなどのドッグスポーツを楽しんだ後、またワイマラナーでショーをやりたいと考え、新たに迎え入れることにしたのがノイです。

 ノイはとてもショー向きのキャラクターを持っていて、ショーイングは楽でした。チャンピオン完成も早く、7回のエントリーで完成したかと思います。すべてオーナーハンドラーです。

 では次に、ブリーディングをと考えた時に、当犬舎にはメスがいないため、新たに探す必要が出てきました。実は、メーアの交配相手を探していたころから、海外のワイマラナーについてはいろいろとアンテナを張り巡らしていたのですが、なかなか日本人というのは犬を大事にしないと思われがちで、譲ってくれるブリーダーに巡り合えません。しかも、ただ譲ってもらうだけなら、だれでもいいのかもしれませんが、いい犬を譲ってくれるという信頼も必要でした。

 私のポリシーは「あまり血統は見ない。その犬のクオリティと、子へ引き継ぐ能力を見る」ということです。その観点から探した上で、ここだとたどり着いたのが、ポーラのブリーダーである、Fala love'a Kennelでした。問い合わせした際に、「ショータイプがほしいのであれば、ショータイプの子犬が出るまで待てますか?」と言われ、結局3年待ちました。しかし、それは納得した子犬を出してくれるという、信頼の確立でもありました。

 そして、ポーラとマディを譲ってもらい、現在の当犬舎に至ります。

 私の犬に対する考え方は、犬の行動学、生態学を基準に考えています。群れで暮らす犬にとって、群れから離すことは何よりのストレスと考え(例えば、群れる野生動物でいえば群れから離れることは死を意味します。オオカミを祖先に持つ犬も同様のストレスを感じるということです。)ドッグショーにおいても、なるべくオーナーハンドラーで常に一緒に行動したいと考えています。ドッグスポーツにおいても同じく、犬はエンジンでもなければ、機械でもありませんので、常に犬のことを考えながら、人間本位にならないように心掛けています。

 現在は、北海道の片田舎で、犬と楽しく暮らしておりますので、どこかのショー会場でお見かけいただいたら、ぜひお声をかけていただれば幸いです。

                   Lonsdaleite Kennel  福原 智子

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